元石原軍団で俳優の神田正輝さん。
現在は、朝の情報番組を中心に活躍されています。
神田正輝さんは、大学時代に石原裕次郎さんにスカウトされ俳優デビューし、昭和のトップスターとして時の人でしたよね。
今回は、神田正輝さんの生い立ちや家族構成についてまとめてみました!
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神田正輝の家族構成

神田正輝さんの家族構成はこちらになります。
・父:神田正次
・母:杉輝子
・本人:神田正輝
神田正輝さんには、兄弟はおらず一人っ子だったそうです。
それでは1人ずつみてみましょう!
神田正輝の父親

神田正輝さんの父親は、神田正次さん。
父・正次さんは、石油販売会社の社長だったそうです。
しかし、正次さんは母親以外の女性と結婚し子供もいたようです。
そして、神田正輝さんの母親とは籍をいれなかったそうなので、神田正輝さんは婚外子になります。
お母さんの名字が「神田」でないのは、そういう理由からでしょう。
父・正次さんは、第一次世界大戦が起きた1914年頃の生まれで、今とは社会背景や状況が異なる時代でした。
1870年に制定された新律綱領では、一夫多妻制の法整備をしていた時代でもあり、地位ある男性が妻と別に愛人をもうけることも、ごく普通にあったようです。
では、神田正輝さんの母親はどんな人だったのでしょうか?
神田正輝の母親

神田正輝さんの母親の名前は、杉輝子さん。
母親の輝子さんは、「旭輝子(あさひてるこ)」という名前で松竹少女歌劇団に入団し、女優として活動をしていたそうです。
とても美人なお母様ですよね。

本名:杉輝子
活動名:旭輝子
生年月日: 1924年10月30日
死亡日: 2001年12月31日(享年77歳)
1939年、輝子さんは15歳で松竹少女歌劇団に入団。
12歳の時、「宝塚歌劇団」を受験し合格したものの、「宝塚歌劇団」は兵庫県宝塚市にあったため、東京の自宅から通うことができず、断念したそうです。
その後、1947年に退団するまで「演芸やミュージカル」、それ以降は映画「歌ふエノケン捕物帖」や「恋人のいる街」、舞台「パノラマ島奇談」や「じゃがたらお春」、さらにはドラマでも「とんだ忠臣蔵」や「丹下左膳」など、数々の作品に出演しています。
1949年、輝子さんが25歳の時に、10歳年上だった神田正次さんとの間に神田正輝さんが生まれています。
当時、父親の正次さんとは、結婚することなく別々に暮らしていたそうです。
こちらが亡くなる前に出演していた番組での写真です。

神田正輝さんが、俳優としてデビューした後、母親である輝子さんとのやりとりをこのように答えていました。
デビューして5年目くらいの時、オフクロに「俳優ってどうなの?芝居とかどうするの?」って聞いた。
すると「私は女優だ。人にお芝居を教えられない。ましてや、女優は男優には絶対教えられない」って、厳しい言葉が返ってきました。
その為、生前「俳優業」については何も言われず、ただ陰ながら見守ってくれていたそうです。
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神田正輝には腹違いの兄弟がいる

先述の通り、神田正輝さんは一人っ子として育っています。
しかし、父親と結婚相手との間に子供がいることがわかってる為に、腹違いの兄弟がいることになります。
実際に何人なのかは明らかにされていません。
その為、ネット上では「神田正輝に弟がいる」などという噂があるそうです。
神田正輝の生い立ち
幼少期より、母親と2人で暮らしていた神田正輝さん。
当時、家には芸能関係の方の出入りが多くあったそうですが、神田正輝さんは芸能界にまったく興味がなかったようです。
学生時代に祖母の実家で一時暮らしていたそうですが、近所ではその美貌からかなり有名だったそうです。
神田正輝さんは、大学からスキーが大好きでプロ並の腕前があった事から、学生時代スキーに関わるアルバイトをしていたそうです。
当時の神田正輝さんの夢がこちら
しかし、23歳の時、石原裕次郎さんにスカウトされ別の道に進むこととなった神田正輝さん。

初めは、芸能界に興味もなく断っていたそうですが、一度挑戦することを決意し、すぐにブレイクしてしまったそうです。
神田正輝さんの素質を見抜いた石原裕次郎さんも凄いですよね!
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、神田正輝さんの家族構成や生い立ちについてまとめてみました。
今後の活躍も楽しみにしています!
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