河村勇輝の学歴まとめ!東海大学中退理由は富樫勇樹の助言があったから・・!?

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今回は、プロバスケットプレイヤーの河村勇輝さんの学歴をまとめて紹介していきます。

現在、河村勇輝さんは、横浜ビー・コルセアーズでプレイしています。

横浜ビー・コルセアーズは、神奈川県横浜市を拠点にしているチームで河村勇輝さんは、2020年からチームでプレイしていますが、2022年からプロとして契約しました。

そんな河村勇輝さんの成績や大学時代中退のエピソードなどを紹介するので是非最後まで読んでください。

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目次

河村勇輝の小学校・中学校時代は?

河村勇輝 ミニバス

河村勇輝さんは小学2年生の時からミニバスケットボールを始めました。

また、河村勇輝さんは、0歳から3歳の幼少期にドイツに住んでいたことも明かされています。

英語教師だった父の吉一さんの仕事の都合で、ドイツで暮らした影響でかなりオープンな性格だったようです。

日本に帰国した後、小学1年生の時にバスケ経験者だった父の影響でバスケを始め、自宅の庭にバスケットゴールを設置することで日常的に父とバスケの練習をしていたそうです。

ミニバスには、小学2年生の時に入団しました。

 毎日練習を続けたことで、小学4年生の時にスタメン、司令塔としてチームで活躍し始めました。

練習から帰ってからは、NBAのビデオを毎日鑑賞したりとバスケ漬けの生活を小学6年生まで続けていたそうです!

当時のコーチは、「プレーに独創性がありました。特にパスに関しては人にない感覚を持っていて、そこに投げるか!と驚かされることが多々ありました」と語っています。

小学生の時の練習内容は、1日500本のシューティング、ノルマを課していたので、かなり熱心に取り組んでいたことがわかりますよね。

小学6年の時には、父と話し合い「日本一になるために、日本一の練習をしよう」と決意しました。

全国大会前の東京出発2日間で2000本のシューティング練習をして、全国大会に臨みました。

決勝では、1点差で勝利して、悲願の日本一になることができました。

中学時代

中学時代は、柳井中学に進学した河村勇輝さん。

1年生ーウインターカップに出場
2年生ー日本代表のU-18に選出

中学2年生の夏には、県大会決勝まで勝ち上がり、中国大会に出場。

河村勇輝さんは、玉島北中学と対戦し、この試合で、中学ナンバー1プレイヤーとマッチアップしてコテンパンにやられてしまいます。

しかし、対戦後には、頑張れば、全国で活躍できる選手になれると思ったそうです。

3年生の時には、全中でベスト16

全中では、西福岡に敗北しましたが、福岡第一高校の監督であった井手口監督に実力を認められてスカウトされました。

福岡第一は、何度も日本一になっている強豪校で、河村勇輝さんの憧れの選手の出身校でもありました。

全国ベスト8まで行けたら地元の高校で続ける予定でしたが、大差で負けたことで全国大会への熱意が増したそうです。

中学時代のプレイは、3ポイント中心としたシューターで西福岡戦では、19得点獲得しています。

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河村勇輝の高校時代は?バスケ成績は?

河村勇輝 高校生

高校は、福岡第一高校に進学しています。

1年の時に、メンバーに選ばれてウインターカップに出ることができましたが、福岡大濠高校に敗北しました。

「福岡第一のメンバーとして敗北してはいけない相手に、大事な試合で敗北してしまった。第一と大濠の関りは、自分たちの代だけでは終わらない長い歴史があります。だから、敗北したことは、すごく悔しいです。3年生を差し置いて自分が試合に多く出ていたのに、ゲームをコントロールできずに負けさせてしまった責任も感じた」

ウインターカップの敗戦からより厳しい練習を行う日々を過ごしました。

そして、2年、3年生でウインターカップ2連覇したことで日本トップのプレイヤーとなりました。

高校2年生の時に大会終了後のベスト5に唯一2年生で選ばれるほどの優れた選手でした。

3年生では、インターハイも優勝して2冠を獲得しました。

成績

  • 高校1年生 ウインターカップ出場
  • 高校2年生 ウインターカップ 優勝
  • 高校3年生 インターハイ 優勝
  • 高校3年生 ウインターカップ 優勝
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河村勇輝の大学時代は?バスケ成績は?

河村勇輝 大学

大学は、東海大学に入学しています。

「数ある大学の中では、一番のバスケット環境はもちろんトレーニング環境も充実している、さらには陸川先生からバスケットを教わることでバスケットIQや人間力も鍛えられると思ったので、自分には東海大学しかないと感じました」

そのために、高校卒業後にプロへ行かずに大学進学を選びました。

大学に行かずにプロに行った方が成長できるのではないか」など意見があったようです。

河村勇輝さんの憧れの選手、富樫勇樹さんからも「高卒でプロになってほしい」と言われたそうです。

高校時代には、プロからも認められるほどの実力がありました。

しかし、大学入学後は、新型コロナウイルスの影響で試合がなくなり、チームとしても活動が制限されました。

河村勇輝さんは、そんな時だからできることを考え、優れている選手の映像をチェックしたり、バスケIQの勉強、フィジカルトレーニングなどを中心に行っていました。

1年生ーインカレ優勝。

2年生ーリーグ戦優勝、インカレ準優勝

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河村勇輝はなぜ東海大学中退したのか?

河村勇輝 プロ

 進学を決めた河村勇輝さんは、在学2年生の時に中退をしなければいけないと決めました。

大学に入った時から、横浜ビー・コルセアーズの特別指定プレイヤーに入り、チームで活躍して、大学生兼トップ選手として忙しい日々を送っています。

ところが、プロになり活躍して2年になると、プレーを研究され思うような結果を出せずに苦しみました。

試合数残りわずかになってくると自分らしいプレーを徐々に取り戻すことができていき、大学を辞めてプロ選手として活動することを決めました。

「日本を代表するプレイヤーになり、2年後のパリ五輪出場が僕の夢です。夢に近づくためにどうするかを自分で考えて、大学を辞めることを決めました」
「残り2年という自分の中では少ない期間の中で、バスケットに時間を費やす環境はプロのチームに入り活動することだと思いました。」

高校の時には、Bリーグの三遠ネオフェニックスに高校生として初めての特別プレイヤーして活躍しました。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、プロバスケットプレイヤーとして活躍する河村勇輝さんのこれまでの成績について解説しました。

河村勇輝さんは、小学生時代から全国で活躍して、中学時代の敗北から高校では、日本一になりました。

大学時代は、プロとしても活躍していて、将来を見据えて大学を中退することを決断しました。

今後は、世界で活躍していくと思うので是非応援してください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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