女優、エッセイストなど幅広いジャンルで活躍している黒柳徹子さん。
黒柳徹子さんの両親もすごかったのはご存知ですか。
父親は有名なバイオリニストで初代ゴジラのテーマソングのバイオリンの担当もしていたそうです。
また、母親は著書「チョッちゃんが行くわよ」がベストセラーになった随筆家でした。
そんな黒柳徹子さんのすごかった両親のことについてご紹介していきます。
黒柳徹子の父親の職業はバイオリニスト

黒柳徹子さんの父親である黒柳守綱(もりつな)さんは凄腕のバイオリニストで、数々の経歴を持っていました。

1937年1月に新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターに就任しました。
1942年には東京弦楽四重奏団としても活動し、毎日新聞優秀演奏家賞を受賞しました。
1949年末に東京交響楽団のコンサートマスターに就任と多くの経歴を持つ人物です。
父親である黒柳守綱さんについて以下のように回想していた黒柳徹子さん。

日本で1番上手なバイオリニストで賞状をもらっていた
戦争前から洋風なものも好きだった黒柳守綱さんは朝食はパンで、自宅の近くにあった洗足パンというパン屋さんでいつも出来立てのフランスパンを配達してもらっていたそうです。
コーヒーやステーキなども食べていたそう。
愛妻家


当時、声楽科の学生の黒柳朝さんとバイオリニストの黒柳守綱さんが出会ったのは、ベートーベンの「第九交響曲」の公演でした。
この共演がきっかけで結婚され、当時では珍しくスピード婚だったようです。
黒柳守綱さんは愛妻家の一面もあり、以下のような発言をしていたようです。



君は僕が死んでも歳下の男と恋なんてするなよ。黒柳朝は二夫に見えずだ



朝が1番で徹子たちは2番。朝がいなかったら徹子たちは産まれてないからね
奥さんである黒柳朝さんが大好きだったのが分かりますね。
黒柳徹子の父親・黒柳守網はゴジラのテーマ曲をつくった?


父親の黒柳守綱さんは、ゴジラのテーマ曲を作ってはいませんでした。
ゴジラのテーマ曲を作ったのは、音楽家の伊福部昭さんです。
しかし、初代ゴジラのテーマ曲の1番目立っているバイオリンの音は黒柳守綱さんだそうです。
2014年6月26日に放送された「出張!徹子の部屋7弾 夢トーク 豪華3本勝負」に渡辺謙さんが出演して際にハリウッド映画「ゴジラ」(2014)の話になりました。
その際に黒柳徹子さんは、ゴジラのテーマ曲について以下のように話されていました。



どうしてもバイオリンのいい音が欲しかったそうで伊福部さんは私のパパにお願いしたの
だから一番最初のゴジラには私の父のバイオリンが入っている
引用元:https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/06/26/0007090194.shtml
これには、渡辺謙さんや視聴者もびっくりでしたね。
黒柳徹子さんは、ゴジラの音楽を聴くと父親のことを思い出すそうです。
黒柳徹子の父親は戦争に行った?死因は?


1944年に中国戦線に出征し、戦争に行っていた黒柳守綱さん。
敗戦後はシベリアの捕虜になっており、楽劇団員として日本軍捕虜収容所の巡回・慰問に当たっていたそうです。
黒柳守綱さんが戦後シベリアにいたことは、新聞の記事に出ていたので知ることができていたそうです。
黒柳徹子さんは以下のように言われていました。



ソ連からバイオリン渡されて「弾け」って言われて日本の捕虜の慰問して、それで遅くなったんです。父が帰ってくるの
引用元:https://sirabee.com/2023/08/12/20163137514/
黒柳守綱さんは、1949年にシベリア抑留から帰還しました。
東京の品川で再会した時は、少し恥ずかしかったという黒柳徹子さんですが、帰ってきたときは本当にうれしかったでしょうね。
父親の死因は?


1983年4月30日、74歳の時に黒柳守綱さんは亡くなりました。
死因は心筋梗塞だったようです。
黒柳徹子さんは「徹子の部屋」の収録前に訃報を知りましたが、気丈に仕事をこなしたそうです。
黒柳徹子の母親はどんな人?


黒柳徹子さんの母親は「黒柳朝」と言う名前で、随筆家として活動されていました。
黒柳徹子さん著書「窓際のトットちゃん」がベストセラーとなり、注目された黒柳朝さんは雑誌「主婦と生活」で自伝エッセイの「チョッちゃんが行くわよ」の連載が開始に。
1984年には「チョッちゃんが行くわよ」の書籍を出版し、デビュー作ですがなんとベストセラーに。


NHK連続テレビ小説「チョッちゃん」と題してドラマ化されブームとなりました。
また、1993年に「チョッちゃん物語」に出版し、1996年にアニメ映画化もされました。
黒柳朝さんは2006年8月16日に96歳で亡くなりますが、その翌月の9月に「チョッちゃんは、もうじき100歳」を出版。
精力的に活動しており、全国からの講演依頼がありましたが、断らずアメリカやイギリスにも出向いていたそうです。
母親の黒柳朝さんに黒柳徹子さんは以下のように質問を。



100歳になったらインタビューをしていいか
聞かれた黒柳朝さんは、すぐに行うことを提案してすぐさま実行しました。
その後黒柳朝さんは1ヶ月も経たないうちに逝去されたそうで、何か感じていたのかもしれませんね。
また、東京音楽大学声楽科に在籍していましたが、結婚後は専業主婦をしていたそうです。
母親とのエピソード


黒柳朝さんは料理が上手だったそうで黒柳徹子さんは以下の料理が好きだったとのこと。



小松菜と鶏のレバーを煮たものが絶品
黒柳朝さんのおいしい手料理を食べて、トットちゃんはすくすく育ったのでしょうね。
また、西洋の古美術品を趣味で収集していたという黒柳朝さん。
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収集した約600点のコレクションを「チョッちゃん・アンティーク・コレクション」として、故郷の滝川市に寄贈されています。
まとめ


黒柳徹子さんの両親についてご紹介してきました。
父親である黒柳守綱さんは、バイオリニストで様々な楽団でコンサートマスターを務めており、戦後には楽劇団員として、シベリア抑留の慰問されてました。
母親である黒柳朝さんは、著書「チョッちゃんが行くわよ」など出版し、ベストセラーとなった随筆家で、講演活動も精力的にされていました。
黒柳徹子さんの今後の活動も応援していきましょう。
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