WBCでも活躍した西武ライオンズの山川穂高選手。
自身のSNSでは、プライベートや家族のエピソードも投稿しファンを楽しませてくれていますよね。
今回は、山川穂高選手の両親や生い立ち、ハーフなのか?と噂されている真相についてまとめてみました!
●関連記事はこちら




山川穂高の家族構成は?

山川穂高選手の家族構成はこのようになっています。
・母親 喜代子(きよこ)
・山川穂高(本人)
両親は幼少期に離婚し、兄弟もいない為一人っ子として育ってきたそうです。
また、山川穂高選手の実家は沖縄県那覇市にあり、中部商業高校を卒業するまでは沖縄で過ごしていたそうです。
過去に、那覇市にある首里城が火災にあった際、自らの支援金500万円と募金605,176円の贈呈を行ったそうです。
山川選手は地元沖縄が大好きなことでも有名ですよね!
この時の写真がこちら



山川穂高の母親はシングルマザーで家計が大変だった?

山川選手の母親は一般人の為、職業や年齢など明かされていません。
しかし、シングルマザーとして家計を支えなければならない為、山川選手が食事を沢山採れるよう自分はパンを食べていたそうです。
また、小学校のころからアイススケート、水泳、野球と様々なスポーツを習っていた山川選手。
習い事にも不自由なく挑戦させてあげてきてくれた環境が凄いですよね!
また、母親が母親の実家は沖縄県久米島市にあり幼少期時代から母親と遊びに行くことが多かったそう。
そのことからも、実家の両親には頼らず女手1人山川選手を育ててきたことがわかりますよね。
そっと見守ってくれる母

小学校5年生の頃から野球に打ち込んでいった山川選手。
かれこれ一度も母親から「やりなさい」などと強制されたことがなかったそうです。
当時、通っていた保育園の園長先生も母親の印象についてこのように答えていました。
過去に行った山川選手のインタビューでも、母親についてこのように語っています。
そんな山川選手ですが、高校1年の時に上下関係が厳しすぎて、野球を「やめたい」と母親に言ったそうです。
その時も「別にいいよ~」と言われ、大会直前だったこともあり「それだけ出てみたら」とアドバイスされたそうです。
そして、その試合で人生初のホームランを打ち「野球を続けることを決意」したそうです。
当時、試合をスタンドからビデオ撮影しながら応援していた母・喜代子さん。
そして後日、ビデオを見てみると、これまで気丈に振る舞っていた母が、声をあげて泣いていたそうです。
母親の一言そして初のホームランがなければ今の山川選手はいなかったかもしれませんよね。
山川選手が通っていた保育園の園長先生も、母親についてこのように語っていたそうです。
幼少期から、山川選手の意思や行動を尊重していたのがわかりますよね。
母親との感動エピソード

プロ野球選手になった山川選手は、2022年の試合でベルーナドームに観戦に訪れた母・喜代子さんにホームランをプレゼントしたそう。
まさにその日は「母の日」ともあり最高のプレゼントになったそうです。
この時のインタビューで山川選手はこのように答えていました。
山川穂高はハーフなのか?父親の国籍はフィリピンか?

先述の通り、両親は幼少期に離婚していて母子家庭で育ってきた山川選手ですが、「ハーフ説」が流れているそうです。
調べてみると1991年頃に母親・喜代子さんと父親が離婚したそうです。
1991年といえば、山川穂高選手が誕生した年代なので生まれてすぐに離婚したようですね。
さらに、これまで様々なインタビューを受けている山川選手ですが、父親に関するエピソードをこれまで話されたことがない為、父親とは面識がない可能性が高いです。
また、父親の国籍については明らかにされていない為、ハーフなのかどうか実際わかりませんでした。
ですが、過去に山川選手と母親を知る方のインタビューでこのようなものを見つけました。
このことより、山川選手は父親ではなく母親に似ている=ハーフ説の可能性は低いと考えられます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
山川穂高選手と母親の絆を感じるエピソードが沢山ありましたよね。
●関連記事はこちら



